呼びかけのことば

~真面目な日本人が国を滅ぼす~

「それホンマか?マスコミ!の会」
  ~真面目な日本人が国を滅ぼす~
    代表者からの呼びかけ


 サイトをご訪問いただき、ありがとうございます。
このサイトを開設するにあたり、これを読んでくださる方々に私自身の動機、意図をお伝えしておきたいと思います。かなり長くなりますがよろしくお願いします。
はじめにお断りしておきます。「真面目な日本人」とは私自身のことです。「お前が真面目か?」という突っ込みは脇に置いていただいて(笑)まずはお読みください。

 私は昭和30年代の初めに大阪で生まれ、育ちました。今は還暦を過ぎた私は過去は色々あったかも知れませんが、基本的には真面目に生きてきたつもりです(笑)。自分で言うのも何ですが、子供の頃はそこそこ優等生で、学生時代はラグビーに明け暮れ、卒業後はそこそこ有名な大企業に就職し、普通に結婚し、ついに少し前、定年を迎えました。一つだけ残念だったことは、子供に恵まれなかったことでしょうか。でもそれは不幸と呼ぶほどのことでもなく、よくある話でしょう。

 政治にはあまり関心はありませんでしたが、中学時代の社会の先生から「棄権だけは絶対にするな」と教わっていたので、選挙には必ず行きました。(ほら、真面目でしょ?)支持政党は今も昔も特にありませんが、以前は何となく左翼的な「反体制」「反権力」が知的に見えていたことは確かです。ですから選挙では、与党としての自民党に入れたことはありませんでした。

 ところが、平成21(2009)年は違いました。マスコミはあげて民主党を押し、日本中が「政権交代」の興奮の渦の中にありました。私は、もともと「ブーム」というものに懐疑的でした。新聞報道などに接しても、民主党のような素人たちに政治を任せたら危ない!という「保守」の思いが強くなってきて、その時、選挙では初めて自民党の議員に1票を投じました。結果は残念ながら民主党の大勝利だったのですが、このとき、「何かおかしい!」という気持ちが一気に膨らんでいきました。

 さらにその気持ちを確実にさせたのが、尖閣諸島沖での中国船体当たり事件でした。平成22(2010)年9月。日本の領海内で向こう側から故意に体当たりをしてきたにもかかわらず、その船長は逮捕もされず、政府は抗議もせず、那覇地裁の判断ということにして船長を釈放したという、いまから考えてもぞっとするような、独立主権国家としてはあり得ない対応をした事件でした。その後、漁船が体当たりした時の動画も公開されましたが、その公開過程もまた、おかしなことだらけでした。

 今、日本の国は何かおかしい!なぜそんな変なことがまかり通るのだろう?今から思えば単に自分が無知だっただけのことなのですが、それからはネットでいろんなサイトを見るようになりました。以前は情報源といえば新聞、雑誌、テレビなどが主でした。自分の仕事がマスコミ関係なので、当然といえば当然でしょう。ネットの情報はガセネタが多くあまり信用はできないな、というのが当時の正直な感覚でした。ところが問題意識を持ち始めてからは次第にネットでの常識と、マスコミでのそれがあまりにも乖離していることに気付き、驚き始めたのです。

 そしてその半年後(平成23(2011)年3月)、東日本大震災が起こります。日本中が恐怖と悲しみのどん底に突き落とされたのは、6年半後の今もまだ記憶に新しいところです。あの時、日本人の精神性について、世界中が絶賛しました。救援物資の配給に整然と並ぶ被災者たち。「自分たちはもう十分だから、他の被災地に回ってあげてください」と言った日本人。もし自分が同じ境遇にあれば、やはり同じことを言っただろうな、と思えてしまうその納得感。「絆」という言葉も流行りました。そんなわけで、私が日本人の精神性に気付いたのは遅まきながら、この震災の時だったのです。

 そして、それからはどんどん世界の見え方が変わってきました。
   「日本人て、すごいんだ!」

 一方、会社では毎日忙しい日々が続きます。マスコミ関係でありながら、会社では政治の話をすることはまずありません。そんな中、自分がずっとお世話になっているマスコミは、朝日新聞のいわゆる慰安婦報道取り消し(平成26(2014)年8月)をきっかけに、その信頼感を急速に落としていくことになりました。私もネットだけでなく、本もたくさん読みました。そして、「このままではマスコミはダメになる」という思いを強くしていきました。ネットでは、新聞、テレビなどのマスコミは「マスゴミ」と揶揄されています。情報を独占できた時代はとうの昔に過ぎ去り、あらゆる情報がネットで飛び交う時代、意図的な編集や改竄、隠蔽はたちどころに露見します。それでもそれらの情報の改変は、一向に無くなる気配がありません。

 ここでまた私自身のことについて書きます。私は生来不器用で、大学時代はほとんどの時間をラグビーに費やし、はっきり言って勉強はしていませんでした。専攻は日本現代史を選びました。私の両親が戦中世代で、戦時、父は学徒動員、母は集団疎開をしていたこともあり、しょっちゅう戦争中の話を聞かされていたことがその理由です。「戦争ですべてが失われた。残念だ。」というのが両親の認識だったので私には、戦争はしてはいけないものだ、なのにどうしてあの戦争は起き、なぜ日本は負けてしまったのか、という軽い問題意識があったことは確かです。

 話はさらに少しさかのぼり中学生時代、私は新聞記者に憧れを持っていて、担任の先生と掛け合って新聞部を創設したりしました。本多勝一の著書、『ニューギニア高地人』『カナダ=エスキモー』は夢中で読み、後に出された『中国の旅』は、朝日新聞の連載時から、毎日興奮しながら読んだことをはっきり覚えています。当時のスター新聞記者に憧れ、自分もこの世の中の不正を暴き、社会の木鐸たる大新聞の記者になりたいと、漠然と考えていました。(今ではこの『中国の旅』は「トンデモ本」であったと認識していますが)

 ただ、実は私は4才の時にはしかを患い、当時結核の特効薬として流行していた抗生物質のストレプトマイシンを打たれ、その副作用で難聴になってしまっていました。よく考えたら耳の遠い新聞記者なんてあり得ないなあと思い、新聞記者になることは諦めました。ただ、文章を書くのは好きだったので、就職活動では当時流行っていたコピーライターになろうと思い、広告会社を受けました。チョコっと数行コピーを書いて、いっぱいお金を貰えたらいいな、などという軽い気持ちでした。でもコピーライターにはいわゆる“クリエイティビティ”が必須なのです。自分にはそれがかなり欠落していることを入社早々の研修で思い知らされ、会社には採用されたものの配属されたのは媒体部門でした。その後営業部門に移り、このたび定年を迎えたのでした。

 さて話は戻り、マスコミとネットの情報のあまりの乖離に不信感を覚え、自分でいろいろ調べ、本もたくさん読むことで色んなことがわかってくると、それを知らなかった自分自身のことが情けなく、恥ずかしく思えてきました。こんなに大事なことに、なぜ今まで気付かなかったのだろう。
 今のこの日本は、たとえばかつてまだ二十歳になるかならないかの年で軍に応召し、「靖国で会おう」と言って戦地に散っていった私たちの父、祖父の世代の人たちが、本当に命を懸けて守ろうとした日本なのだろうか?あるいは広島、長崎で被爆し、助けに来てくれた人の腕の中で「この仇は必ず取ってくれ」と言いながら無念にも絶命していった銃後の無辜の人たちが思い描いた日本なのだろうか?
 いや違う。現状はいまだに外国の軍隊が駐留している、似非(エセ)独立国なのではないのか?。さていったい誰がそんな中途半端な国のままでいることを許してきたのか?それは、紛れもなく自分たち自身ではないのか?自らの無知、無関心、知的怠慢が、現在の日本の残念な状況を招いているのではないか?
・・・・・そのように考えを巡らせると、自分自身のこれまでの人生が、何とも間抜けな、無駄な、情けないものだったように思えてくるのでした。

 そしてそんな時、ネットで次の文章を見つけたのです。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」
 これは、昭和45(1970)年7月7日のサンケイ新聞(当時)の夕刊に掲載された三島由紀夫の文章だそうです。この4か月後に三島は自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自殺事件を起こします。事件の翌日、当時中学生だった私の担任教師は「こんなもん、時代錯誤やなあ」と笑っていたのをはっきりと覚えています。
 今の私には三島由紀夫がわかる、とはとても申しません。けれども「無機的な、からっぽな、ニュートラルな」生活をしてきたのは他ならぬ自分自身だったことを、この言葉で気付かせられたことは確かです。そして、この事件から半世紀近く経った今、実は日本の状況は当時と何ら変わっていないのではないか?いや、三島の予言通り、日本はなくなろうとしているのではないか。そんな危機感のようなものがひしひしと湧いてきたのです。

 ここまで長々とお読みいただきありがとうございます。既におわかりのように、私は現在の日本では「保守」「右翼」「ナショナリスト」「ネトウヨ」などというくくりに入れられるのかもしれません。自分自身は特定の政党を支持しているわけでもなく、いかなる組織にも所属していません。かつて勤めた会社や、大学、高校といった学校、ラグビー部のOBなどという立場はありますが、それ以上でも以下でもありません。ただただ、戦後日本の欺瞞的状況に気付き、憤慨し、戦前にあったであろう本来の日本らしさを取り戻したいと考え始めたばかりの一個人です。個人にいったい何ができるのか、今のところ皆目見当もつきませんが、比較的自由な時間が持てるようになった今、自身のささやかな経験をもとに、自分にできる方法で「美しい日本」を取り戻していきたいと考え、ここに行動を起こすことを決心したのです。

 では、いよいよこのサイトについて書いていきたいと思います。

 繰り返しになりますが、テレビや新聞などのマスコミの情報と、ネットや書籍での情報には大きな乖離があります。そして近年ではマスコミは意図的な「誤報」や「捏造」までも頻繁に行うことが知られ、ネットでは「マスゴミ」と揶揄されています。「マスコミでメシを食って」きた私としては忸怩たるものがあります。「ウソ」は許されるものではありませんし、もし、かつて結果的にウソを広める手助けをしていたのだとするなら、過ちを認め、それを正す努力をしなければ人間として終わりでしょう。単純ですが、これがこのサイトを作った動機です。

 先に「このままではマスコミはダメになる」と書きましたが、一方で、たとえば大新聞はいまだに毎日、少なく見積もっても日本人の一千万人超に読まれています。テレビなら、たとえばたった1%の視聴率でも全国でいえば百万人弱もの人が視聴していることになります。「朝日新聞は廃刊せよ!」と勇ましく言うのは簡単ですが、近いうちに、またはある日突然に新聞社やテレビ局が無くなってしまうことはあり得ないでしょう。であるならば、毎日一千万人超が読んでいるこの大新聞のどこかに、多くの人が共感できるような質の高い「意見広告」を掲載することで、少しずつでもこのネットとマスコミの間の情報の乖離を埋めてゆくことができるのではないか、と考えたのです。

 ただ、もし今のマスコミが、世間に対して意図的にニセ情報を流している敵だとするならば、その敵に広告料(掲載料)という名で塩を送るのはおかしいのではないか?と感じる人もいるかも知れません。先ほどからずっと「マスコミ」としてくくってはいますが、実は新聞とテレビは大きく違います。テレビは国から電波の割り当てを受けた許認可事業であり、放送法で「政治的に公平であること」が求められています。(これに関しては現在、「放送法遵守を求める視聴者の会」が「違法な報道」を糾弾する意見広告を掲載するなどの活動を実施しているようです)
 一方、新聞は社としての主張を持っています。その主張に共感しなければ、つまり読者がその新聞を読まなくなれば、新聞は存続できないのです。逆に言えば、読者こそが新聞を変える力があるのだと考えられないでしょうか。

 実は新聞社の中にも、どうもおかしい、このままではマズいのではないかと思い始めている人はたくさんいます。けれども、個人的にそう思ったとしても、組織を優先する日本人社会では、それをそのまま口には出せません。まずは会社の方針があり、上層部が公式にその方針を支持する発言をしたとして、それに反対すると、その後の昇進にも影響し、それは生活にも関わってくることでしょう。正義のために戦え!なんて、今はもう誰もそんなことは言いません。サラリーマンを30何年もやってきた私は断言します。つまり、会社の中にいる人たちというのは、それぞれが、それぞれの「事情」で動いているのですね。これは、日本国内最高レベルのサラリーマンである財務省の官僚においてもそうでしょうし、新聞社や普通の会社や、果てはPTAや町内会でも、組織となってしまっているところはみなそうだと言えるのではないでしょうか。

 つまり、日本人は争い事を好まず、場の空気を過剰に読んでしまう、とても「真面目な」人たちなのだと思うのです。大勢に順応し、みんなで同じ方向を向いていることが安心、という「真面目な」日本人の習性。それがつい70数年前、「欲しがりません、勝つまでは」「進め一億火の玉だ」と煽られて戦争に引きずり込まれ、ついに引き返すことができずにほとんど国を滅ぼしてしまったのですね。その時と、何にも変わっていないのではないでしょうか。だからこそ今、本当は間違っていることなのに何となく皆が「そうなのかなあ?」と流されてしまっていることに対して、「それホンマか?」と声を上げ、真実を広めることができれば、少しでも流れを変えることができるのではないか、と思いたいです。ここで念のために改めて書いておきますが、私自身も流れに任されやすい「真面目な」日本人の一人です(笑)。

 話は変わりますが昨年、アメリカのトランプ氏の当選をほとんどのマスコミは予測できませんでした。その理由の一つは「隠れトランプ支持者」が多くいた、ということでした。ネット、つまりバーチャルな世界では自由に意思表示できるが、リアル、つまり自分のすぐ周りの人たち、地域社会や勤務先、現実の交友関係の中では大っぴらに言えないけれど、実はトランプを支持していたという人が、数多くいたというのです。実は昔からそれを表す言葉として「サイレント・マジョリティ」=「モノ言わぬ大衆」がありますね。本当はおかしい、と思っていても周りに「忖度」してしまって、とても「声を上げる」わけにはいかない、そんな人たちが今の日本にもきっと数多くいると思うのです。

 このたび立ち上げた「それホンマか?マスコミ!の会」は、そういう人たちの強力な受け皿になりたいと思います。本当は声を上げたいのだが、リアルでは知られたくない。でもそれが大きな影響力を持ち得るのであれば、多少の負担、出費も厭わない、という人たちにとって、クラウドファンドの仕組みはうってつけなのではないかと思います。
また一方、正しいことをいくら言ってもどうせ伝わらないんだったらムダだ、と思う人にとってもクラウドファンドの仕組みはよく出来ています。もし残念ながら意見広告の出稿が成立しなければ出資金は引き落とされない方式をとります。つまり支援者の出費が無駄になることはないというわけです。

 こうして一人一人の力は小さくても、日本人の多数を占める「良識」がひとたび集まれば、大きな力を持つことができるのではないかという、甘く、楽天的な(笑)希望を持って、このサイトを始めることにします。
 ぜひご賛同をいただき、ご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
 
平成29年10月 「それホンマか?マスコミ!の会」代表